ある問い合わせの話
少し前、ある企業の事業責任者から問い合わせが来ました。
内容を要約するとこう。「うちのマーケターが、しんどそうにしている。壁打ち役を探している」
そのマーケターは有能でした。戦略立案もできる。様々な施策を一人で回してきた実績もある。
問題は能力ではなく、社内にマーケティングの話ができる人間がいないことでした。
「この施策の方向性で合っていますか?」
「このKPIの見方、おかしくないですか?」
「競合がこういう動きをしているんですが、どう対応すべきでしょう?」
そうした問いを投げかけられる相手が、会社の中に一人もいない。
これは珍しいケースではないです。むしろ「ひとりマーケター」という状況は、中小・中堅企業では当たり前に存在します。マーケティング部門と名のつく組織があっても、実態は担当者が一人、ということは普通にあります。私も3社連続でそうでした。

ひとりマーケターはなぜ「しんどい」のか
能力の問題ではない、と書きました。では何が問題なのか。
答えは「納得の問題」
マーケティングは、正解が一つではない仕事です。同じ予算、同じ市場、同じターゲットでも、打ち手は無数にある。だからこそ「この判断でいいのか」という問いが、常につきまといます。
ひとりマーケターは、この問いをずっと自分一人で抱えています。
策を考える。資料を調べる。数字を見る。「よし、これで行こう」と決める。——しかしその「決める」という行為が、どこか宙に浮いたままになる。
誰かに話していない。誰かに反応してもらっていない。だから、本当に納得できていない。
これが「しんどさ」の正体だと思います。
AI相手では納得できない理由
今の時代なら「AIに相談すればいいじゃないか」という声が聞こえてきそうです。
実際、冒頭の事業責任者もそのマーケターもAIは試していました。そのうえで、壁打ち役を人間に求めていました。なぜか。
ここが、この記事で一番伝えたいことです。
AIは「あなたの予想の範囲内」でしか反応しないからです。
AIに施策の相談をするとき、私たちはある程度の文脈を与えます。背景、目的、考えた選択肢。そのうえで「どう思いますか?」と聞きます。
AIはその文脈を読んで答える。賢く、丁寧に。でも、その答えは根本的に「あなたが与えた情報の範囲内」で構成されています。あなたが気づいていない視点は、あなたがAIに渡していないから、AIも持っていない。
「否定的に返してくれ」と指示しても同じことです。AIが返す否定は、あなたが提示した論点に対する否定です。あなたが「そんな角度があったか」と思うような指摘は来ません。なぜなら、その角度はあなたの言葉の中に存在していないからです。
もう一つ、AIには決定的に欠けているものがあります。
「人に話した」という事実。
壁打ちの本質は、情報交換ではないと考えます。「自分の考えを声に出して人に伝えた」という行為そのものに意味があります。
人は話すことで考えが整理される。曖昧だった輪郭が、言語化することで見えてくる。相手の表情や相槌から、自分の言葉の説得力を感じとる。「あ、ここが弱い」と気づく。
そして最終的に「人に話して、納得してもらえた(あるいは、一緒に悩んでもらえた)」という経験が、自分の決断を支える土台になる。
AIとの対話には、この土台が生まれません。どれだけ長く、深く話しても、「誰かに話した」という感覚は残らない。残るのは、テキストのログだけ。
記事や書籍でも解決しない
「それなら勉強すればいいじゃないか」という声もあります。
マーケティングの書籍を読む。業界の記事を漁る。フレームワークを学ぶ。それ自体は価値があるし、知識は武器になります。
でも、モヤモヤは消えません。
なぜか。インプットに対してアウトプットしていないからです。
知識は、アウトプットして初めて自分のものになります。「こういう考え方があるのか」と思っても、それを自分の状況に当てはめて、誰かに話して、反応をもらわないかぎり、知識は知識のまま浮いています。
書籍のフレームワークは普遍的。しかし自分の施策は個別具体的。その橋渡しをしてくれるのは、文字ではなく、対話です。
「壁打ち」とは何か、を少し真面目に考えた
壁打ちというのは、テニスの練習方法から来た言葉だと思います。
壁に向かってボールを打つ。返ってきたボールをまた打つ。それを繰り返す。
ただ、人間相手の壁打ちは、これとは少し違うなと感じます。
壁はボールをそのまま返す。でも人間は、少し変えて返す。自分が気づいていない角度から返ってくることもある。「そのボール、実は変な回転かかってますよ」と教えてくれることもある。
それだけじゃない。人間は「このボールの打ち方、いいですね」とも言います。「それは続けていいと思います」とも。その一言が、思っていたより大きな意味を持つのは誰しも経験したことあるんじゃないかと思います。
自分の判断を、誰かが「それでいい」と言ってくれる。——それが、納得の正体です。
これはAIには、できない。AIの「いいと思います」は、本当の意味であなたに響かない。なぜなら、AIのそれは、あなたが与えた情報で「言わせた」テキストデータだから。
結局、人は人に話して、納得する
冒頭の企業は、最終的にマーケ顧問のプランを契約しました。
今は週1で、壁打ち役として稼働しています。
クライアントになったそのマーケターは、私に正解を求めているわけじゃありません。自分が正しいと思っていることを話して、「うん、それでいいと思います」と言ってもらうために使ってくれている。あるいは「ここ、ちょっと甘くないですか」と返してもらうために。
それで十分なのだと思います。
結局、人は人に話すことでしか、本当に納得できない。AIがいくら賢くなっても、おそらくこれは変わらない。なぜなら、納得とは「誰かに話した」という事実の上に成り立つものだから。
